泡沫水晶と私達は

 「私達が若い頃なんかそりゃあメッシーくんだとかアッシー君みたいな色んな男の人と遊び回ったものよ」というアルバイト先の服屋のおばちゃんのつぶやきがにわかに信じられなかった。

 というのも私の親世代、つまり50代の大人も若かりし頃はそんなに景気がよくて夜な夜な不純に異性と交遊していたなんて、ちょっぴり生々しくて知的好奇心をくすぐられてしまったからである。彼女たちがどんな青春時代を送っていたのか気になった私は、自ずと田中康夫の「なんとなく、クリスタル」を手に取っていた。

 物語の舞台は1980年の東京で、登場人物の女の子は皆、誰でも知っている高級ブランドの服を着て、昼はモデルの仕事をして夜はディスコに繰り出して違う男と毎日遊ぶ。この本はストーリー要素があるわけでもなく、1980年代を生きる女子大生の特に変わらないだらだらとした1日が描かれているだけだ。

 (現代では大量生産のファストファッションの大型店舗が渋谷や新宿を占拠し、サンローランのプレタポルテなんか水商売をしている女の子でも着ないだろう。レコードはいつでもどこでも聴けるストリーミング定額配信に様変わりし、手元に残るCDを買う人を殆ど見かけない。)

 私からすると彼女達はあまりにも華やかでギラギラした、景気がよかった日本の産物であり遺産に見えた。だが、ブランド物という記号に身を包み、肩書を持つ男たちと競うように付き合う彼女たちは、田舎から上京してきたコンプレックスを振り払うかの如く青山や代官山で服を買い、日本橋や恵比寿でたまにご飯を食べてみる生活を送る私とさほど変わりないようにも思えた。代官山、青山に恵比寿、そして慶應生というブランド全てを私から引いたら、私には一体何が残るというのだろう。そんな空虚さを紛らわすために記号の維持に精を出すのはいつの時代も変わらないのだ。そう考えると彼女たちに親近感が湧いた。

 本編と全く関係ない形で、この本の最後のページには人口問題審議会の「出生力動向に関する特別委員会報告」が載っている。1979年当時1.77であった合計特殊出生率は今や1.44で2016年の出生数が100万人を切った事がニュースになったし、当時8.9%で2000年には14.3%になるであろうと予測された厚生白書の老年人口比率は26.7%で4人に1人が高齢者だ。つまり、作者は本編で主人公たちは遊びまくっているけど、そんな生活は永遠には続きませんよと言いたいらしい。現実は30年前の予想を大幅に上回って少子高齢化が進行しているのだけど。

 青春時代を1980年代で過ごした彼女たちは、バブル景気と男女雇用機会均等法のもと就職し、結婚し、社会で活躍をしてきた。一方で、私の東京で消費する生活はいつまで続くのだろう。なんとなく記号を消費し続ける生き方から、少子高齢化とそれに伴う社会保障費の負担増と労働人口の減少というこの国の現実に目を向けて生きていかなければならない。

 

大学で本のエッセイを書けという課題が出たので。(わりといじった)

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