乳と卵

 川上未映子が書く文章はですますであるに関西弁が入り混じり、改行さえ無く読みづらいはずなのに感覚で掴み取ったリズム感のおかげか掃除機のコードを引っ張った時みたいにするすると頭に入ってくる。芥川賞の選評で石原慎太郎は「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい」と寄せているがそりゃそうだ。この小説の中に男性は一切登場しないし登場人物たちは所謂"男ウケ"とは程遠い男根主義から解放された世界に位置するのだから。

 個人的に気になったのは心も身体も女性でない方がこの小説を読んだらどう感じるのかという点である。頭ではわかっているのに日々身体だけが大人になっていく理不尽さと生々しい気持ち悪さ、年を取り若ささえ消えた自分にぽっかりと空いた女としてのアイデンティティを埋めるために執着する姿、いい年なのに結婚もせずかといって自分から進んで行動を起こすわけでもなくそうこうしているうちに今月もまた受精に失敗していくもどかしさ―これらは皆我々女性からすればあるある!こんな風に思ったことあるよね!!!といった感じで共感の対象になるかもしれないが、それこそ男性からするとこじらせ女のだらだらした自分語りにしか聞こえないのかもしれないのだ。まあ女であるわたしの推測にすぎないのだけれど。

 本書には表題作の他に短編が一本収録されている。こちらは表題作と比べていまいち感覚による切り込みが浅いような気がするがものすごく個人的にわたしの心を深くえぐった。何の目的もなしに新宿伊勢丹から紀伊国屋を彷徨う"東京で消費してる女"にはどうもなりたくないもんだ。